- interview 04
56期生 小笠原 弘晃
- 2009年に城星学園小学校入学。
パリ第一パンテオン・ソルボンヌ大学 在中
能楽師狂言方

小学1年生当時の
小笠原さん

中川教頭 (左)、小笠原さん (右)
現在、国内外で舞台に立つ私の人間性の原点は、城星学園での学校生活にあると感じています。日本で経験した唯一の義務教育であった城星学園での時間は、自分が「ありのまま」の自分でいられる、かけがえのない場所でした。
狂言は、人間の良いところもそうでないところもそのままに描き、最後には「それでいい」「それが人間だ」と肯定してくれる芸能です。振り返れば、城星学園にもまた、魅力も未熟さも受け止めてくれる、やさしい空気があったように思います。
授業はもちろん、行事やクラブ活動を通して先生方のご指導のもと、仲間と主体性をもって力を合わせ、よく褒められ、よく叱られ、反省と自信を重ねながら、自分らしさ――私の「ありのまま」を育むことができました。
まだまだ至らぬ私ですが、これからも「ひかりのこ」であり続けられるよう、生きていきたいと強く思っています。

僕ら狂言師も、台本を覚える時にまずは書き写すんです。
その力は、城星のノート作りで培われました。

- Q. 小学生のとき、どのような子どもでしたか?
- 小笠原さん 人とお喋りするのが好きで、人といるのが好きで、ただひたすらに友だちと集まって楽しく話していました。朝早く来て校庭で遊び、業間休みも放課後も遊び、楽しい小学校生活を送っていました。
先生 小さい時から舞台にも出ていたけど、すごくのびのびと過ごしていたよね。
小笠原さん 本当にのびのびと、大自然の中にいるような子どもでした。
先生 確か2年生のときに、お父さまと2人で芸術鑑賞会に出てくれたよね。とてもよかったです。数年前の音楽鑑賞会にも来てくれましたね。
小笠原さん はい。あとは、やりたがりな子どもでした。自分の中では我慢しているつもりでも、今思えばみんながおいしいところを譲ってくれて、楽しい思い出ができて、そのおかげで自信もつきました。
先生 多くの場面で活躍していましたね。ドンボスコ祝日会でも、サルヴェドンボスコサントをイタリア語で歌ったり、クリスマスページェントでは、三人の王様の歌も歌ったり、本当に上手だったのを覚えています。
小笠原さん アンサンブルや、児童会の書記もしていました。書記が、運動会の開会宣言を担当しますが、その後にすぐにアンサンブルの演奏もあって。先生に「どっちを取るんだ」と言われた記憶があります(笑)
先生 そうそう!で、開会宣言を読んでいたね。


- Q. 6年間で一番印象に残っていることは?
- 小笠原さん 1番はやっぱり卒業式です。日本で受ける義務教育最後だったので。黒板に、バラの花束の絵と、聖歌『水はつかめません』の歌詞が書かれていました。それは、今でも56期生のグループラインのアイコンです。
聖歌は、ぽろっと口ずさんだりもします。成人式の後も、聖歌隊に入っていた子たちが、「聖歌歌いたいよね。」という話になり、大阪城公園でみんなで歌いました。
先生 その帰りに学校に来てくれたよね。その話を聞いてとても嬉しかったのを覚えています。
- Q. 1番楽しかった行事は?
- 小笠原さん 優劣つけられないけど、クリスマス会です。歌ったり、踊ったり、お芝居があったりするのが好きなので。アンサンブルクラブに入っていて、アンサンブルクラブの演奏で歌ったことがとても思い出です。
- Q. 城星で学んだことで、今役に立っていることはありますか?
- 小笠原さん 基本的に、日本での常識を学びましたし、僕ら狂言師も、台本を覚える時にまずは書き写すんです。その上で自分の台本をつくる。その力は、城星のノート作りで培われました。
あとは、無条件に人を信頼できるようになりました。城星の同級生は、何も細かいことを考えないで、信頼しています。特別な空気感があります。
今は、狂言の舞台に立ちながら、子どもたちにも狂言を教えています。
- Q. 城星のいいところは何ですか?
小笠原さん 僕は城星しか知らないので、、、。階段の角の金の滑り止めの上を歩く感覚がすきです(笑) 放課後の発表会練習の際に、西日が指してくる情景が好きで、自分にとっては故郷の景色になっています。

- Q. 城星学園小学校卒業後の生活について、教えてください。
- 小笠原さん 中学校はフランスに渡り、フランス語を母国語としない子が集まるクラスに入りました。1年間1日6〜8時間フランス語だけで、たまに体育がありました。
一年の終わりに試験があり、それに合格すると、翌年から公立校へ行けるんです。そのまま音楽とダンスの専門コースがある高校に進学しました。午前中は義務教育を受けて、午後は声楽やピアノを学びました。
大学は2年前にパリの大学へ入学し、今も造形美術を学んでいます。この9月に、3年生になりました。
今は、狂言の舞台に立ちながら、文化庁の助成をもらって、子どもたちにも狂言を教えています。舞台があるときは、教え子がアシスタントに来てくれます。
先生 いい師弟関係を結んでいるね。城星の友だちとは、卒業後も交流はあるの?
小笠原さん もちろんあります。日常的に、連絡をとっている友だちが多いです。
先生 56期生は、フェスタにもよく来てくれるよね。
小笠原さん はい。僕にとって城星の友達が、数少ない日本の友達です。
- interview 03
54期生 後藤 百穂
- 2007年に城星学園小学校入学。
早稲田大学 人間情報科学科を卒業。
マーケティングプロデューサー

小学1年生当時の
後藤さん

漆山校長 (左)、後藤さん (中央)、中川教頭 (右)
現在、企業の考えや課題を言語化して整理し、プロジェクトを設計・実行支援する仕事に携わっています。こうした仕事に向き合う際の思考の土台は、小学生の頃に、気づかないうちに育ててもらっていたものだと、改めて感じています。
城星学園小学校では、「字には人柄が表れる」「ノートは丁寧に書きなさい」と日々教えられていました。当時は先生に褒めてもらえるのが嬉しくて、ノートを一冊一冊ていねいに作り上げていた記憶があります。その中で、板書に加えて先生の言葉や自分の気づきをメモするようになり、考えを整理することが習慣となっていきました。
また、アンサンブル活動では、学年の違う仲間と一つの作品をつくる中で、それぞれの役割を大切にしながら進める楽しさを知りました。城星学園で過ごした日々は、自分の思考や人格を形づくる土台として深く根付き、支えてくれていると感じています。

学年関係なくみんなと取り組む縦割りの活動が、とても楽しかったです。

- Q. 小学生のとき、どのような子どもでしたか?
- 後藤さん ませていました(笑) 先生たちとたくさんお話をしていた記憶があります。ピアノの伴奏とか、学級委員とかをよくしていました。
先生 なにかあったら、すぐに百穂さんに、「どう思う!?」と聞いていたね。
後藤さん はい。私が、教師机の隣にある教壇に座ってずっと話していました。
先生 アンサンブルクラブの部長としても活躍していたね。
とても頼りがいがありました。あとは、部内の腕相撲大会ではずっと優勝していたね。

- Q. 6年間で一番印象に残っていることは?
- 後藤さん 意外とイベントとかではなく、日常をよく覚えています。例えば、委員会活動や掃除の時、学年関係なくみんなと取り組む縦割りの活動が、とても楽しかったです。
- Q. 1番楽しかった行事は何ですか?
- 後藤さん クリスマスページェントです。本番に向けてのアンサンブルの準備や、舞台の下から見える劇がよかったです。
先生 たしかに。特別な席だもんね。アンサンブルクラブの子たちは、基本的には舞台に立てずに、裏方として頑張るんだけど、憧れとかなかった?
後藤さん 私は、憧れはなかったです。本番中に表示される、歌詞を見るのが好きでした。
先生 やっぱり、根っからのサポートタイプなんだね。すごいなあ。クリスマスは、基本的には昔と変わらず、歌もそのまま残っているよ。

- Q. 城星で学んだことで、今役に立っていることはありますか?
- 後藤さん ノート作りです。先生に、板書を写すところと、メモ欄を分けて作りなさいと指導して頂いて、それが高校生まで続いていました。自分なりにまとめることが、習慣となっていました。今も仕事で、色々な情報がある中で、何か形作りを行っていくときに、その習慣がとても役に立っています。
先生 城星でのノート作りの習慣が、社会人になった今でも生きているんだね。嬉しいな。
後藤さん はい。とても生きています。あとは、字が、その時の感情や性格が出ると言われていた記憶があります。そこから、汚い字を書くのが恥ずかしくなりました(笑) 実は今日、ノートを持ってきました。先生たちからのコメントが嬉しくて残していました。

みんなの心の中に「ひかりのこ」があることは、大きな強みだと感じます。
- Q. 城星のいいところは何ですか?
後藤さん 本当に、穏やかな環境で、一人ひとりの個性を消さずに伸ばすところだと思います。
また、縦割り活動が多いのでそれによって、色んな人と関わる経験ができたことです。

- Q. 城星学園小学校卒業後の生活について、教えてください。
- 後藤さん 中学校は城星学園中学校へ進み、高校は洛南高校へ進学しました。その後、人間の心理に興味があり早稲田大学人間情報科学科に進学しました。
在学中に事業を作る手触り感を知りたいと考えインターンを始め、新卒ではインターンをしていたAI系のスタートアップに入社しました。事業開発に携わる中で、商品を世の中に浸透させていく方法をより特化して身につけたいと思い、今はマーケティングプロデューサーというお仕事に就いています。
先生 すごいね。具体的には、どんなことをしているの?
後藤さん マーケティングとは、広告やテレビCMを流すことだけではありません。お客さまや社会とともに価値を創り、その価値を広く浸透させることで、より豊かな社会を目指す一連の取り組みのことだと言われています。その考え方をもとに、企業の事業や商品にどんな価値を生み出せるのか、その価値をどう世の中に伝えていけば良いのかを考えたりしています。
先生 会社のいいところや、中に入っていたら気づかない魅力を第三者的に見ているんだね。今のお仕事を通して見た時に、城星学園の外部的な魅力って何だと思う?
後藤さん みんなの心の中に「ひかりのこ」があることだと思います。方針や道筋を浸透させることは本来とても難しいはずなのに、それが何気ない日常の中で当たり前のように共有され、同じ方向を向いて日々過ごしていることは、大きな強みだと感じます。私自身、卒業から10年以上経った今でも「ひかりのこ」を言えます。
- interview 01
55期生 猪俣 大輝
- 2007年に城星学園小学校入学。
東京大学 法学部を卒業。
2024年12月から弁護士として勤務。

小学1年生当時の
猪俣さん

犬塚先生 (左)、猪俣さん (中央)、中川教頭 (右)
成人式で、久しぶりに55期で集まって同窓会をしたときのこと。小学校の思い出話で盛り上がり「ひかりのこ」を覚えているか、という話題になりました。「人を大切にする子」、「神様、人の前で正直な子」。五つのモットーが自然と口をついて出たときに、城星学園の教えが、今でも自分の心に、確かに息づいていることを実感して、我が事ながら、ささやかに感動したことを覚えています。
城星学園では低学年時から、字を丁寧に書くことを指導されました。六年間でドリルやノートに、たくさんの字を書きました。「書は人なり」といいます。知性や精神状態、読み手への思い。文字は、確かに「人」を表すものだと思います。担任の中川美紀先生は、のびやかで美しい字を書かれる先生でした。その中川先生が、僕の書いたノートに、「美しい、いつも。」とコメントをして下さったことは忘れられません。城星学園は、僕という「人」を育んでくれた学び舎です。

6年生で児童会議長を経験させてもらいました。
責任のある仕事を任せていただけたのはいい思い出です。
- Q. 小学生のとき、どのような子どもでしたか?
- 先生 算数の授業で、ピタゴラ装置を教室で作っていた時、本を教室のロッカーの上で倒すような遊びをしていた。楽しみながら勉強していた印象だね。
猪俣さん 勉強は楽しかったですね。
- Q. 6年間で一番印象に残っていることは?
- 猪俣さん 一番覚えているのは中川先生によく怒られたことです。これは同級生に笑われるんですけれど、いまだに2年に1回くらい夢で怒られるんです。中川先生は小学校4年生と6年生で担任をしてくださいました。
先生 やんちゃはたくさんおったなあ(笑)
猪俣さん 他に思い出に残っているのは、6年生で児童会議長を経験させていただいたことです。小学生ながらに責任のある仕事を任せていただけたのはいい思い出です。児童会総会を切り盛りしたり、運動会で校旗を持ったり。

- Q. 他に楽しかった行事はありますか?
- 猪俣さん フェスタですね。普段は真面目にしている児童もフェスタの日だけははっちゃけられて。あとクリスマス会が楽しかったです。東方の三博士の役をしました。衣装がきれいで嬉しかったです。
宿泊も楽しかったです。ネイチャースクールとか修学旅行でもすごく怒られました。そう考えると、お叱りを受けた思い出が7割くらい(笑)
- Q. 城星で学んだことで、今役に立っていることはありますか?
- 猪俣さん 2点あって。1つ目に、字を丁寧に書くということを1年生のときからよく指導いただいたことです。字をきれいに書くというのは大人になった今でも大事なことだと思っています。人に与える影響、自分に与える自信。そういったところを磨く教育をしていただきました。
2つ目が、キリスト教の教えです。「いつも神様が見ている」ということはいまだに、常に心の片隅にあります。自分が一人で行動しているときでも神様が見ている。「神様の前で正直な子」というのは、良い教えをいただいたなと思います。

児童に主体性をもって活動させてもらえるところが
城星のいいところだと思います。
- Q. 城星のいいところは何ですか?
猪俣さん 学級会や催し物のときなど、児童が主体性をもって活動できる機会が多いところです。上級生が下級生に、色んなことを教えたという記憶があります。そういった機会に児童の主体性が育まれたような気がします。掃除も上級生に教わりました。上級生と話した内容や、下級生に伝えた内容って、今でもけっこう覚えているんですよね。
あとは、城星でたくさん本を読みました。読書月間や夏休みに読書の記録を残したことを覚えています。もともと本は好きでしたし、クラスで一番読んでいたんじゃないでしょうか。
先生 どういう本が好きだったの?
猪俣さん 十五少年漂流記など、世界の有名な小説はあらかた城星の時に読んだと思います。城星の図書室の一番下にある歴史漫画も全部読みました。先生 絵を描くのも上手だったよね。社会科の時間、先生の話を聞かずにずっと伊藤博文とかの絵をかいてたよね(笑) 今もノート、とってあるよ。細かい作業が上手でしたね。
猪俣さん はい。ですが、実は家庭科だけは友だちにやってもらっていました(笑)

- Q. 城星学園小学校卒業後の学生生活について、教えてもらえますか。
- 猪俣さん 中高大、とにかく好きな事をたくさんできた学生生活でした。勉強を頑張りつつ、遊びも頑張りつつ。
先生 何に一番興味があったの?
猪俣さん 中学の時はクイズ研究会とソフトテニス部に入っていたんです。クイズ研究会が楽しかったです。テレビに出たり、早押しのボタンがあって機械を触れるのも面白かったんです。高校では勉強もすごく頑張りました。メリハリをつけられたのも城星の教育があったからだと思います。

- Q. 中学校に進んでからも、城星の同級生や先輩とお付き合いがあったんですか?
猪俣さん 同期はよく会ってました。結局今でも一番仲がいいのは城星の友達だったりします。久々に会っても久々な感じがしなくて。戻るんですよ時間が。城星から東京に行った組でたまに集まるので、それくらい仲がいいですね。
- Q. 最後に、今年から社会人ということで、今頑張っていることは?
猪俣さん 弁護士という職業で、人の役に立つ仕事がしたくて。周りの人をサポートし続けることができればと思っています。
- interview 02
58期生 西村 叶望
- 2010年に城星学園小学校入学。
大阪府立夕陽丘高等学校音楽科を卒業し、
現在は京都市立芸術大学音楽学部に在籍。

小学1年生当時の
西村さん


現在私は毎日数時間はピアノに向かう生活をしていますが、この集中力は城星時代に毎日休むことなく続けた自主学習のおかげだと感じます。「タラントを増やしなさい」これは最も印象に残っている聖書の教えの1つですが、私の場合、音楽の道で努力することによって少しずつ増えつつあるように思えます。ただそこに至るには、毎日真剣に私の自主学習ノートに向き合って、コメントをくださった先生や、一生懸命支えてくださった先生方の導きがあったからこそだと思います。城星学園小学校で過ごした日々は、今の私の太い根となり、しっかりと支えてくれています。

コツコツ努力するということも
城星で学んできたことかなと思います。

- Q. 小学生のとき、どのような子どもでしたか?
- 西村さん 小さい頃はすごく憶病な子だったなと思います。4、5年生になってくると、委員長のお仕事も自分からしていくようになっていきました。
先生 授業はすごくまじめで、休み時間は友達と朗らかにすごしていたね。
西村さん 中で遊んでいることが多かったです。見回りの先生が来られると、こっそり隠れていました(笑)
先生 ピアノはとにかくずっと上手で、何かある度に弾いてくださいってお願いしていたよね。6年生の学習発表会の時が永井博士の舞台をしたよね。
西村さん BGMでピアノを弾かせてもらいました。あの時はまだ、音楽科に身を置いていなかったから「できるだろう」と自信はありましたが、高校や大学で音楽をやっていくうちに、「上には上がいるなあ」と実感して、今ではめちゃくちゃ緊張します。
- Q. 城星で学んだことで、今につながっていると感じることはありますか?
- 西村さん 「ノートづくり」をしっかりと教えてくださったなと思っています。メモをとる習慣は、小学校から今に至るまで続いています。自主学習も継続してやっていました。1年生から6年生まで。コツコツ努力する、ということも城星で学んできたことかなと思います。

今後はコンサートやリサイタルを開いていけたらなと考えています。

- Q. 城星学園小学校を卒業してからの学生生活について教えてください。
西村さん 中学校は、城星学園中学校に進学しました。そこで愛唱歌の『ヴェリタス城星』の作曲にも挑戦しました。あの時は詩が先にあったので、明るく朗らかな調性で、 詩にあったようなメロディをその時のインスピレーションで作りました。部活動は中学校のときに聖歌隊に入っていました。
先生 白い隊服を着てね。
西村さん そうですね。カテドラル(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)のオルガンも弾かせていただきました。同級生の子がヴァイオリンを弾いて、私がオルガンで。
高校は、音楽をもっと勉強したいということで、夕陽丘高等学校の音楽科に進んで、そこでも3年間ピアノを専攻にして、オーディションをたくさん受けました。シンフォニーホールでも定期演奏会でソロを弾かせてもらいました。
今は芸術大学の音楽科で、師事したいと思っていた先生の元で学んでいます。


- Q. 最後に、今後挑戦していきたいと思っていることがあれば教えていただけますか。
西村さん ピアノ科は人数が多いので、音楽で食べていくのはすごく大変で。今は教員免許もとれるように勉強を進めているので、そんな道も考えています。
あとは、コンサートやリサイタルを開いていけたらな、と考えています。同級生でもすでにリサイタルを開いたりオーディションを受けたりしている人もいるので、わたしもそこに向けて頑張っていきたいと思います。















