卒業生インタビューOB INTERVIEW

はばたく卒業生たちの
「いま」「原点」

卒業生の方々に、城星学園小学校でどんな学校生活を送っていたか、学んだことがどんなふうに「いま」に繋がっているか、
その「原点」をお聞きしました。

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interview 01

55期生 猪俣 大輝

2007年に城星学園小学校入学。
東京大学 法学部を卒業。
2024年12月から弁護士として勤務。

インタビュー写真

小学1年生小学1年生当時の
猪俣さん

インタビュー01写真犬塚先生 (左)、猪俣さん (中央)、奥校長 (右)

成人式で、久しぶりに55期で集まって同窓会をしたときのこと。小学校の思い出話で盛り上がり「ひかりのこ」を覚えているか、という話題になりました。「人を大切にする子」、「神様、人の前で正直な子」。五つのモットーが自然と口をついて出たときに、城星学園の教えが、今でも自分の心に、確かに息づいていることを実感して、我が事ながら、ささやかに感動したことを覚えています。
城星学園では低学年時から、字を丁寧に書くことを指導されました。六年間でドリルやノートに、たくさんの字を書きました。「書は人なり」といいます。知性や精神状態、読み手への思い。文字は、確かに「人」を表すものだと思います。担任の中川美紀先生は、のびやかで美しい字を書かれる先生でした。その中川先生が、僕の書いたノートに、「美しい、いつも。」とコメントをして下さったことは忘れられません。城星学園は、僕という「人」を育んでくれた学び舎です。

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6年生で児童会議長を経験させてもらいました。
責任のある仕事を任せていただけたのはいい思い出です。

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Q. 小学生のとき、どのような子どもでしたか?
奥校長 算数の授業で、ピタゴラ装置を教室で作っていた時、本を教室のロッカーの上で倒すような遊びをしていた。楽しみながら勉強していた印象だね。
猪俣さん 勉強は楽しかったですね。
Q. 6年間で一番印象に残っていることは?
猪俣さん 一番覚えているのは中川先生によく怒られたことです。これは同級生に笑われるんですけれど、いまだに2年に1回くらい夢で怒られるんです。中川先生は小学校4年生と6年生で担任をしてくださいました。
奥校長 やんちゃはたくさんおったなあ(笑)
猪俣さん 他に思い出に残っているのは、6年生で児童会議長を経験させていただいたことです。小学生ながらに責任のある仕事を任せていただけたのはいい思い出です。児童会総会を切り盛りしたり、運動会で校旗を持ったり。

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Q. 他に楽しかった行事はありますか?
猪俣さん フェスタですね。普段は真面目にしている児童もフェスタの日だけははっちゃけられて。あとクリスマス会が楽しかったです。東方の三博士の役をしました。衣装がきれいで嬉しかったです。
宿泊も楽しかったです。ネイチャースクールとか修学旅行でもすごく怒られました。そう考えると、お叱りを受けた思い出が7割くらい(笑)
Q. 城星で学んだことで、今役に立っていることはありますか?
猪俣さん 2点あって。1つ目に、字を丁寧に書くということを1年生のときからよく指導いただいたことです。字をきれいに書くというのは大人になった今でも大事なことだと思っています。人に与える影響、自分に与える自信。そういったところを磨く教育をしていただきました。
2つ目が、キリスト教の教えです。「いつも神様が見ている」ということはいまだに、常に心の片隅にあります。自分が一人で行動しているときでも神様が見ている。「神様の前で正直な子」というのは、良い教えをいただいたなと思います。

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児童に主体性をもって活動させてもらえるところが
城星のいいところだと思います。

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Q. 城星のいいところは何ですか?

猪俣さん 学級会や催し物のときなど、児童が主体性をもって活動できる機会が多いところです。上級生が下級生に、色んなことを教えたという記憶があります。そういった機会に児童の主体性が育まれたような気がします。掃除も上級生に教わりました。上級生と話した内容や、下級生に伝えた内容って、今でもけっこう覚えているんですよね。
あとは、城星でたくさん本を読みました。読書月間や夏休みに読書の記録を残したことを覚えています。もともと本は好きでしたし、クラスで一番読んでいたんじゃないでしょうか。
奥校長 どういう本が好きだったの?
猪俣さん 十五少年漂流記など、世界の有名な小説はあらかた城星の時に読んだと思います。城星の図書室の一番下にある歴史漫画も全部読みました。

犬塚(6年生の時の先生) 絵を描くのも上手だったよね。社会科の時間、先生の話を聞かずにずっと伊藤博文とかの絵をかいてたよね(笑) 今もノート、とってあるよ。細かい作業が上手でしたね。
猪俣さん はい。ですが、実は家庭科だけは友だちにやってもらっていました(笑)

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Q. 城星学園小学校卒業後の学生生活について、教えてもらえますか。
猪俣さん 中高大、とにかく好きな事をたくさんできた学生生活でした。勉強を頑張りつつ、遊びも頑張りつつ。
奥校長 何に一番興味があったの?
猪俣さん 中学の時はクイズ研究会とソフトテニス部に入っていたんです。クイズ研究会が楽しかったです。テレビに出たり、早押しのボタンがあって機械を触れるのも面白かったんです。高校では勉強もすごく頑張りました。メリハリをつけられたのも城星の教育があったからだと思います。

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Q. 中学校に進んでからも、城星の同級生や先輩とお付き合いがあったんですか?

猪俣さん 同期はよく会ってました。結局今でも一番仲がいいのは城星の友達だったりします。久々に会っても久々な感じがしなくて。戻るんですよ時間が。城星から東京に行った組でたまに集まるので、それくらい仲がいいですね。

Q. 最後に、今年から社会人ということで、今頑張っていることは?

猪俣さん 弁護士という職業で、人の役に立つ仕事がしたくて。周りの人をサポートし続けることができればと思っています。

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interview 02

58期生 西村 叶望

2010年に城星学園小学校入学。
大阪府立夕陽丘高等学校音楽科を卒業し、
現在は京都市立芸術大学音楽学部に在籍。

インタビュー02

小学1年生小学1年生当時の
西村さん

インタビュー02写真大西先生 (左)、西村さん (中央)、奥校長 (右)

現在私は毎日数時間はピアノに向かう生活をしていますが、この集中力は城星時代に毎日休むことなく続けた自主学習のおかげだと感じます。「タラントを増やしなさい」これは最も印象に残っている聖書の教えの1つですが、私の場合、音楽の道で努力することによって少しずつ増えつつあるように思えます。ただそこに至るには、毎日真剣に私の自主学習ノートに向き合って、コメントをくださった先生や、一生懸命支えてくださった先生方の導きがあったからこそだと思います。城星学園小学校で過ごした日々は、今の私の太い根となり、しっかりと支えてくれています。

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コツコツ努力するということも
城星で学んできたことかなと思います。

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Q. 小学生のとき、どのような子どもでしたか?
西村さん 小さい頃はすごく憶病な子だったなと思います。4、5年生になってくると、委員長のお仕事も自分からしていくようになっていきました。
大西(6年生の時の先生) 授業はすごくまじめで、休み時間は友達と朗らかにすごしていたね。
西村さん 中で遊んでいることが多かったです。見回りの先生が来られると、こっそり隠れていました(笑)
大西 ピアノはとにかくずっと上手で、何かある度に弾いてくださいってお願いしていたよね。6年生の学習発表会の時が永井博士の舞台をしたよね。
西村さん BGMでピアノを弾かせてもらいました。あの時はまだ、音楽科に身を置いていなかったから「できるだろう」と自信はありましたが、高校や大学で音楽をやっていくうちに、「上には上がいるなあ」と実感して、今ではめちゃくちゃ緊張します。
Q. 城星で学んだことで、今につながっていると感じることはありますか?
西村さん 「ノートづくり」をしっかりと教えてくださったなと思っています。メモをとる習慣は、小学校から今に至るまで続いています。自主学習も継続してやっていました。1年生から6年生まで。コツコツ努力する、ということも城星で学んできたことかなと思います。

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今後はコンサートやリサイタルを開いていけたらなと考えています。

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Q. 城星学園小学校を卒業してからの学生生活について教えてください。

西村さん 中学校は、城星学園中学校に進学しました。そこで愛唱歌の『ヴェリタス城星』の作曲にも挑戦しました。あの時は詩が先にあったので、明るく朗らかな調性で、 詩にあったようなメロディをその時のインスピレーションで作りました。部活動は中学校のときに聖歌隊に入っていました。
大西 白い隊服を着てね。
西村さん そうですね。カテドラル(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)のオルガンも弾かせていただきました。同級生の子がヴァイオリンを弾いて、私がオルガンで。
高校は、音楽をもっと勉強したいということで、夕陽丘高等学校の音楽科に進んで、そこでも3年間ピアノを専攻にして、オーディションをたくさん受けました。シンフォニーホールでも定期演奏会でソロを弾かせてもらいました。
今は芸術大学の音楽科で、師事したいと思っていた先生の元で学んでいます。

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Q. 最後に、今後挑戦していきたいと思っていることがあれば教えていただけますか。

西村さん ピアノ科は人数が多いので、音楽で食べていくのはすごく大変で。今は教員免許もとれるように勉強を進めているので、そんな道も考えています。
あとは、コンサートやリサイタルを開いていけたらな、と考えています。同級生でもすでにリサイタルを開いたりオーディションを受けたりしている人もいるので、わたしもそこに向けて頑張っていきたいと思います。

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